記念日

【母の日の由来】こめられた本当の想いとは?世界が母を祝福する日

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「今年の母の日、どうしようかなぁ」

5月と言えば「Mother’s Day(母の日)」
そして次の6月は「Father’s Day(父の日)」ですね。

カーネーションを贈ったり、バッグやアクセサリー、カステラやマカロンのようなスイーツや豪華温泉旅行など、お母さんの喜ぶ顔を見たくて、どんなプレゼントを贈ろうか、毎年頭を悩ませる人も多いのではないでしょうか。

そもそも母の日って、どうしてお祝いするようになったのか、その由来を知ってますか?

というか、「母の日」ってどんな意味があるの?
5月の第2日曜日に行われる意味、カーネーションを贈るのはどうして?

そんなことに疑問を持って調べてみたら、世界各国で「母の日」はお祝いされているんですね。

でも、国によって、2月だったり、8月だったり、11月だったり。
どうしてそんなにバラバラなんでしょうね。

一度気になったら、納得できるまで調べないと気が済まない性分の私は、「母の日」についてとことん調べてみました。

母の日由来の定番はアメリカ?

「母の日」の由来についていろいろ調べてみたら、いくつか説があるようです。
どれも、キリスト教など宗教が絡んでくるような感じです。

wikipediaによると、日本と同じように5月の第2日曜日を「母の日」としている国は31か国あるようです。

そこで、5月の第2日曜日が「母の日」となった起源を調べてみたら、アメリカが発祥でした。

「母の日」=アメリカというのが定番となっているようですが、まだ知らない人のためにアメリカの母の日誕生にまつわるストーリーを見ていきましょう。

アメリカの母の日に関係する3人の女性

アメリカでは、5月の第2日曜日は「母の日」として公式の祝日となっています。
年に1度のこの日に、子どもたちは母親へ、日ごろの感謝のしるしとしてグリーティングカードを送ったり、一緒に食事をしたりして過ごします。

そんなアメリカで「母の日」が誕生したきっかけには、実は3人の女性が関係しています。

詩人で政治活動家「ジュリア・ウォード・ハウ」

1人目は、詩人でもあり政治活動家でもあったジュリア・ウォード・ハウです。

突然ですが、「ごんべさんの赤ちゃんが風邪ひいた」という歌に記憶はないでしょうか?
または「ヨドバシカメラの歌」なら、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
その原曲である「リパブリック賛歌」の詞を書いたのが、実は彼女なんです。
曲じゃなく、詞をね。

0:10あたりから、馴染みの「ごんべさんの~」というフレーズが出てきますね。
ヨドバシカメラの歌にするには、再生スピードを上げてみるとよいでしょう。

アメリカ南北戦争終結直後の1870年、戦争によって夫や子供を亡くし、悲しみにくれる母親たちがたくさんいました。

そんな母親たちが、「二度と戦争へ夫や子どもを送らない」と固い反戦の意思を表明し、さらに世界平和の実現には、世界中の母親たちの団結が必要不可欠だとして、ジュリアは「平和のための母の日」を宣言し、毎年6月2日にそのためのお祝いをしようと提言したのです。

彼女の考えに賛同した人々によっては、普及活動はしばらくボストンで継続されましたが、残念ながら広く知られることはなく終わってしまいました。

11人の母ながら社会活動家「アン・ジャービス」

二人目は、ジュリアの「平和のための母の日宣言」に前後して、地域(コミュニティ)の劣悪な衛生環境を改善しようと活動していた、社会活動家のアン・ジャービスです。
生涯で11人(13人という説もあります)の子供を産んだアンは、不衛生な環境によって引き起こる感染症で、何人かの子供を乳児期に亡くしました。

その経験から6人目を妊娠中にも関わらず、衛生環境の改善と、地域の母親たちに子育てについての知識を学ぶ機会を作るために、「母の日・ワーク・クラブ」を立ち上げたほどの「パワフル母ちゃん」なのです。

1861年にアメリカ南北戦争がおこると、アンは地域の活動から、戦争で負傷した兵士たちの看護のための活動を始めます。
彼女にとっては北も南も関係なく、怪我や病気に苦しむ兵士を援助し、また周囲にもそう呼びかけました。
さらに戦争終了後は、「母の友情の日」を作って、南北の兵士とその母親たちを誘い、ピクニックなどイベントを開いて、互いに歩み寄れる機会を作るなどの平和活動を続けました。

さらにコミュニティの団結のために活動を続け、ウェストバージニア州のグラフトンにあるアンドリュースメソジスト教会で、20年以上日曜学校の先生として教壇に立ち続けたのです。

母を尊敬してやまない娘「アンナ・ジャービス」

アンは1905年5月9日に73歳で亡くなりましたが、そんな偉大な母を敬愛し、母の功績をいつまでも称えようとした彼女の娘、アンナ・ジャービスが、アメリカの母の日の創設者として認められている3人目の女性です。
彼女はアンの9番目の子として、1864年に誕生しました。

40代で母を亡くし、悲しみに暮れるアンナは、ふと12歳の時に聞いた日曜学校での母の言葉を思い出します。

「いつか、母親が人の生活において無比の奉仕をしていることを記念し、母の日を見出すことを希望し祈ります」

「そうだ!お母さんに感謝をささげる日を作ろう!」

母の功績を風化させないために、アンナは「母の日」を記念日として広めようと活動を始めました。
そして母の死から3年後の1908年、命日に近い第2日曜日に、アンドリュース・メソジスト教会で初めてのミサを行いました。
(これが、「母の日」が5月の第2日曜日に行われる起源となったようですね。)

そしてそのミサでは、百貨店王として名高いジョン・ワナメーカーの援助を受けて、500本の白いカーネーションが用意され、参列者に配られたのです。

この活動がやがてアメリカ中に浸透し、6年後の1914年、ウイルソン大統領5月第2日曜日を母の日と制定することになったのです。

母の日の創設者の晩年は「アンチ母の日」論者に

亡き母を敬うことから始まったアンナの「母の日」運動は、1914年のウイルソン大統領の宣言でもって、とりあえずの目標達成となりました。

本来の目的は、子どもとして母親に感謝の気持ちを伝えること。
生涯未婚で子供のいなかったアンナは、子どもの目線からみた母を偲ぶための「母の日」を願ったのです。
そのため、そこには高価なギフトもお菓子も必要ありませんでした。

しかし、「母の日」はアンナの願いから外れて、やがて商業戦略の一つとして広がっていきました。

花屋はカーネーションを値上げし、カード会社は「Mother’s Day」カードを販売し始め、そしてレストランでは「母の日のサラダ」が提供されるようになりました。

「純粋な母を敬う日」であったはずなのに、商業性が高まっていく現状に強い不満を感じたアンナは、母の日を当初の目的に戻すべく資産を投げうって抗議活動を始めました。

彼女は、「母の日」をボイコットし、また妨害するようになったのです。

菓子製造業者の集会に押しかけ抗議したり、「アメリカ兵士の母の会」が資金集めに母の日を利用していることを知ると、集会に押しかけて逮捕されたこともありました。
「母の日」で商売をしようとする関係会社を脅迫したこともあります。

それでも「母の日」はいっそう商業性を高めていき、結局アンナの純粋な願いは届くことなく、晩年は姉妹のリリアンと暮らし、彼女はサナトリウムで亡くなりました。

日本の「母の日」は青山学院から始まった

日本の「母の日」は青山学院から始まった
晩年の「アンチ母の日」論者になる前のアンナは、アメリカだけでなく、世界中に「母の日」が創設されるよう働きかけを行っていました。
そのために「母の日国際協会」を設立し、教会関係者や政治家へ賛同を願う手紙を送りまくりました。

それはアメリカ国内だけでなく、諸外国も対象でした。

そしてアメリカで大統領が母の日宣言する前年の1913年、日本へ渡って「海岸女学院」で活動していたメソジスト宣教師マイラ・E・ドレーパーにもアンナから手紙が届きました。

「母の日」を知ったマイラは、さっそく学校の礼拝堂で「母の日」の礼拝を行いました。

この「海岸女学院」というのは、現在の青山学院の前身にあたります。
つまり、一番最初に日本で母の日がお祝いされたのは、青山学院だったわけですね。

そして1926年に地久節(皇后の誕生日)が国家の祝日と制定されました。
この頃の日本は大正時代にあたるため、大正天皇の皇后・貞明皇后の誕生日6月25日が「母の日」とされました。

しかし翌1927年には、元号が大正から昭和に改元されます。
また1931年に大日本連合婦人会が結成されたことをきっかけに、地久節を母の日と定めたことから、昭和天皇の皇后・香淳皇后の誕生日3月6日が「母の日」として、正式に定められお祝いされるようになりました。

実は二つの母の日が共存していた日本の母の日

世界の「母の日」の認識は5月の第2日曜日であったのに対し、日本では地久節を母の日としたことから、3月6日が「母の日」となっていたわけですが、それでは5月第2日曜日はお祝いしなかったのかというと、そういうことでもありません。
「国際母の日」としてこの日もお祝いしていたようです。
つまり、戦前の日本には、「母の日」が3月6日と5月第2日曜日の2回あったわけですね。

ただ、1937年に森永製菓が各団体と協力して「母の日中央委員会」を設立し、5月8日に豊島園で第1回森永母の日大会を開催しました。
この大会には20万人ものお母さんたちが無料招待されて、園内で子供たちとゆっくり楽しく過ごしたそうです

このことがきっかけとなり、5月の母の日が一般的になっていったようです。

1941年に第二次世界大戦(太平洋戦争)が勃発すると、母の日は戦意高揚のために一時的に利用されます。
しかし翌年には西洋の文化ということで「母の日」はお祝いされなくなります。

戦後の1946年に5年ぶりに母の日がお祝いされ、1948年に地久節が皇后誕生日と改称されたことを受けて、5月の母の日が日本の「母の日」として広く認知されるようになりました。

世界の母の日の起源は?

アメリカの母の日は、「反戦と平和」を願う母たちの願いが形になったものでした。
そして、キリスト教を媒介として、世界に広がっていきました。

アメリカから「母の日」が伝わった国は、日本以外にもたくさんあり、お祝いする日も5月の第2日曜日となっています。

  • ニュージーランド
  • カナダ
  • イタリア
  • ベルギー(アントワープを除く)
  • デンマーク
  • フィンランド
  • ドイツ
  • 香港
  • オランダ
  • トルコ
  • オーストラリア
  • 中国
  • ブラジル

一方、アメリカの母の日を認識しながらも、別の理由で違う日を母の日とした国もあります。
またもともと文化や宗教の視点から、母の日をお祝いしている国もあります。
そして、実はアメリカの母の日より前に、宗教的(キリスト教)な行事としてイギリスでは母の日が行われていたともいわれているのです。
アメリカの母の日は、イギリスから伝わったという説もあります。

国名 母の日 由来
ノルウェー 2月第2日曜日 1919年ベルゲンの教会で初めて母の日がお祝いされる。
ノルウェーの5月はパーティーや祝日が多いことから、2月の第2日曜日に祝うようになったと言われている
ルーマニア 3月8日
(国際女性デー)
1977年国連総会で、各加盟国が歴史や国内の伝統に基づいて「国連女性の権利の日」の必要性を宣言、決議が可決。現在でも3月8日は「国際女性デー」として、世界各地で祝われている。
ルーマニアの法律では「母の日」は5月の第1日曜日と定められているが、3月8日も母親や女性にとって重要な日とされお祝いされる
エジプト
およびアラブ諸国
3月21日
(北半球での春の初日)
もともと古代エジプトでは、神々の母であるイシスを称える祭りが毎年行われていた。
1943年 ジャーナリストのムスタファ・アミンが著書でアメリカの伝統として「母の日」を紹介し、エジプトでも母親のために公式の休日を作ろうと活動を始めた。
1956年3月21日に最初の「母の日」が祝われ、その習慣は他のアラブ諸国にも受け継がれていった。
イギリス 復活祭の前の四旬節期間(レント)の第4日曜日
(おおよそ3月下旬から4月上旬)
17世紀頃、復活祭(イースター)の3週間前の日曜日を「Mothering Sunday」といい、奉公に出ていた子供たちが、年に一度家に帰ってお母さんと一緒に過ごしたり、キリスト教会でお母さんに会ったりするイベントが行われていた
ネパール 4月末~5月上旬
(ビクラム暦バイサク月で初めての新月の日)
「母の顔を見る日」
ネパールで使用されているビクラム暦では、4月中旬に新年を迎える。新年最初の月をバイサクといい、バイサクの最初の新月の日が「母の日」となる。
昔、池のほとりでパンを食べていた羊飼いの少年が、池に落としたパンを拾おうと覗き込んだとき、池の水面に亡き母の顔を見た。その日がバイサクの新月の日だったという物語が伝わっている
ハンガリー 5月の第1日曜 1925年にハンガリー赤十字のクロアチア青年が初めて祝った
韓国 5月8日
(父母の日)
1930年代いくつかのクリスチャン団体が母の日、または「両親の日」として祝い始めたが、韓国の儒教文化と融合して、1956年国務院が5月8日を母の日と制定。
1973年に「休日に関する規則」によって「父母の日」となった
フランス 5月最後の日曜
(キリスト教の精霊降誕日(ペンテコステ)が同じ日曜日の場合は、6月第1日曜日に変更)
1806年にナポレオンが母を称える祭日を作った
戦争による人口減少から、多産を奨励する動きが起こり、子だくさんの女性が表彰されていたが、1941年に子どもの人数によらずすべての母親が祝福されるようになり、1950年に公式の祝日となった
タイ 8月12日
(タイ・シリキット国王妃の誕生日)
1980年代タイ王国の地位をより高めるために、タイ首相のキャンペーンの一環として、タイの国母となるシリキット女王の誕生日に祝賀会が開催された
ベルギー
(アントワープのみ)
8月15日
(聖母マリアの日)
アントワープの芸術家ピーター・ロデウィック・ファン・クイックは、母親は家族の核心であり、キリスト教では「母の日」は聖母マリアが天に召された日こそ相応しいと考えた
エチオピア 雨季の終わり
(10月から11月頃)
雨季が終わると、「アントロシュト」と呼ばれるお祝い(3日間)が行われ、一緒に「母の日」も祝う
アルゼンチン 10月第3日曜日 古くカトリック教では10月11日を「神の母聖マリアの祝日」とし、母親を敬う風習があった(1962年から1965年に開かれた第2バチカン公会議で祝日は1月1日に変更)
その風習の名残が現在も続いている
北朝鮮 11月16 1961年に最初の全国母親会議が開催され、指導者金日成が「子供の教育における母親の義務」と呼ばれる作品を発表した。
2012年5月に最高人民会議議長が「母の日」と指定。
ロシア 11月最終日曜日 旧ソビエト連邦時代の母の日は「国際女性デー」である3月8日だったが、1998年にロシアのエリツィン大統領の命令によって11月の最後日曜日に変更になった

このように「母の日」は、早いところでは2月、遅いところでは11月に行われています。

まとめ


世界中の母の日の起源についてみてきましたが、いかがでしたでしょうか。

アメリカの「母の日」やイギリスの「Mothering Sunday」という習慣が起源とされることが多いようですが、しかし実はその遥か昔より、母を祝う習慣がありました。

古代ローマや古代ギリシヤでは、全知全能ゼウスの母リーア(レア)を神々の母として、讃える春祭りを行っていたとされています。

古代エジプトでも、同様に神々の母イシスを讃える祭りが行われていました。

人も神様も、母親を慕い尊敬する気持ちは変わらないということではないでしょうか。

「母を想う子供の気持ち」「母を大切にしたいという想いは時代や地域が変わっても同じです。

また、母が子を思う気持ちも同じです。
プレゼントをもらえたら確かに嬉しいですが、でも「大好き」「いつもありがとう」という言葉を言ってもらえるだけで、「よし!明日からも頑張るぞ!」という気持ちになれます。

言葉にするのが恥ずかしいのなら、メッセージカードに気持ちを綴って渡してみてはいかがでしょうか。時間がギリギリの人なら、メールやLINEでスタンプを送ってもいいかも。

お母さんの好きな食べ物を買っていって、一緒にお茶の時間を持つ、というのも素敵です。

どんな方法を選ぶにしろ、今年は素敵な「母の日」を過ごせるといいですね。

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