
今年も母の日が近づいてきましたね!2019年は5月12日(日)です。
「今年の母の日はどうしよう、また何もしないのもなぁー。」
なんて思っている男性も多いのではないでしょうか??
そこで今回は、30代以上の男性100人(と女性も20人)にアンケートを取って、
母の日どうしてるのか?どんな思い出があるのか?など調べてみました!
文字数の関係上、全部はご紹介出来ませんが、その中でも面白かった話やおどろき&感動エピソードを選んでみました。
それでは楽しんで読んでみて下さい!
まずはクスッと笑える母の日エピソード
母の日にお母さんにプレゼントした結果、意外な結末になることも?
ちょっと笑える母の日おもしろエピソードをまとめました。
そんな母親を見てビックリ(30代男性)
母の日に、うちの母から前から靴が欲しいと聞いていたので買ってきました。
そしたらなんと靴のサイズを間違っていて履くことができませんでした。
だから母は、その靴を母からおばあちゃんへの母の日のプレゼントに流用したんです。
そんな母親を見てビックリしました。
そんな使い道があるのかと母親の考え方を尊敬しました。
その後、改めて母のサイズに合う新しい靴を一緒に買いに行きました。
母の日はamazonで(30代男性)
私には、兄妹が2人います。
全員親元から離れ生活しているので、母の日は全員でお金を出し合ってamazonで通販したものを購入しようと計画してきました。
それぞれが意見を出し合い、購入するものを決めたあと私は購入ボタンを押しました。
すると当日3人分の全く同じプレゼントが母宛に届いていました。
兄妹それぞれが自分が購入しようとしてしまって、結局同じものを3つ注文してしまったんです。
兄妹で1つのものを購入する計画は失敗しましたが、母は兄妹でそういった事をしているのがうれしかったようです。
今でも3つとも実家に母が大事に保管しています。
「今日は一切家事はしない」(40代男性)
「母の日は私が主役なんだから、今日は一切家事はしない」というのが母のお決まりのセリフです。
父も私も「そうだね、今日は日頃の疲れをとるためにノンビリ過ごしてね」と暖かい声をかけます。
しかし、普段なれない洗濯をすれば洗剤の量を大幅に間違い、母が再度洗濯機を使用することになるし、
料理を父が試みるもただの甘いだけの謎の食べ物になり、母が料理し直すことなるし、
決局は母の作業量が増えるだけっていう結果の、毎年の我が家の一日です。
精巧なドライフラワー(30代男性)
私が20歳を超えて仕事に就くようになってからは、毎年母の日にはお花と野菜ジュースなど健康に良さそうなものを一品付けて送るようにしています。
そんな中、いつも生花ばかりではやや新鮮味に欠けていると思い、ドライフラワーを送った年がありました。
なかなか精巧なドライフラワーで、元は生花ですが加工後もかなり生花に近いものでした。
送って1,2週たって母に会いに行くと、母はなんとそのドライフラワーに水をあげていました。
「いや、それドライフラワーだから」といって水気を取り乾燥させて飾らせましたが、ドライフラワーを生花だと思っていた母に爆笑!
いや、あまりに精巧にできていたことで生花だと母を信じこませたドライフラワーに賞賛を送るべきか、今でも家族の笑い話の種になっています。
妹の一言(30代男性)
母の日と妹の誕生日が同じなため、母の日は基本的に妹の誕生日祝いがメインでした。
特に妹が子供の頃は、その日が母の日ということすら家族全員の頭になく、本人も自分から言い出すことはありませんでした。
妹が高校生くらいになり誕生日祝いをやらなくなった頃、母の日ということで何となく母のために花を買って帰宅しました。
母「〇〇(妹の名)、誕生日だからお兄ちゃんが花買ってきてくれたよー」
妹「花とかキモッ」
僕は無言で自分の部屋に花を飾りました。
思わずツッコみたくなるエピソード
次は、母の日やお母さんのびっくりエピソードまとめました。
「なんでそんなことすんの?」「ん?どういうこと?」とつっこみ入れながら読んでね。
兄の脅迫(40代男性)
私には6歳年上の兄がいます。
私は兄を子どもの頃から親不孝者だと思っていました。
なにせ私が小学生の頃に、母の日に何かプレゼントしようとしたら
「お前の小遣いは親の金だ、そして親の金は巡り巡って俺の金だ!だから両親のために使おうなんて思うなよ!」
と脅迫をされていました。
なので母にプレゼントができませんでした。
しかしそんな兄も3人の子どもの父親になり、今では毎年父の日・母の日にプレゼントを持ってやって来ます。
あんなに意味不明な理屈をこねて両親に何もしなかった兄なのに…。
そして子どものいない私は、父の日・母の日を祝った事はありません。
立場が変わると感謝の気持ちも変わるみたいですね。
「そんなんで殴ったら、痛いやないか」(30代男性)
母と喧嘩したときの事を、お話ししたいと思います。
あれは、私が高校1年生の時でした。学校にもろくにいかず家にも帰らなくて、たまたま家に帰ったときに母と出くわしました。
言い合いの喧嘩になり、エスカレートしていくと母がタウンページを持ち出し1発殴られました。
私が「そんなんで殴ったら、痛いやないか」と言うと母が
「殴った私の心の方が痛いわ」と言われ、そのまま黙りこんでしまい喧嘩は終わりました。
今では、自分が親になると、その時の母の気持ちが痛いほど理解できます。
更年期のせい?(30代男性)
50も半ばを過ぎたうちの母親。
数年前から更年期なのか年齢のせいなのか、話を大きくもったり、うそをついたり、言動がコロコロ変わったりしていました。
母の日は、自分は基本的に何もあげないし、何もしません。
ただ、数年に一度ぐらいのペースでプレゼントをあげていましたが、気に入らない場合が増えたので、ここ数年あげるのをやめていました。
去年もあげずにいたら、「母の日なのに何もくれない!だからこないだ約束したことはこっちも守らない」と言われました。
頭がおかしいです。
戦後の感動、母の執着(50代男性)
私の母親はプラスチックものに対する執着が半端ありません。
年齢のせいか、戦後に日本の世の中に初めてプラスチックが出てきた時の「感動」が、そのまま価値観にしみついてしまっているようです。
スーパーで買ってきた食料のカップ類など、あんまりにもため込むので捨てようとすると、かなり真剣に怒ります。
そして、、、さらに意固地になってプラスチックを備蓄しまくるので、ちょっと困りますね。
これも、愛嬌のうちだと思って、波風たたないように付き合うしかなさそうです・・・
元気すぎる母(30代男性)
毎年母の日になると思うのですが、母は年を取るごとにだんだん元気になってる気がします。
まだ仕事をしてるのですが職場では言いたい放題のようです。
元気な姿には安心するのですが…。
そんなある年の母の日のこと、家族で夜に集まることになっていたのですが、その日も母は午前中パートで働きに出ていました。
その夜帰ってきた母の一言「バイトの若い子やめさせてきた」
正直とんでもない母を持っていることに今更ですが気づかされました。
とても天然でヤバイ(30代男性)
うちのお母さんはとても天然でヤバイところがあります。
雨の日は絶対に傘をささないです。
なんでと聞いたら「昔傘をさして歩いていたら、いきなり木が倒れてきて死ぬところだった」と言ってました。
そんなことあるわけないと雨の日傘をさして一緒に歩いていたら木が倒れてきてとてもビックリしました。
そうゆうことが世の中本当にあるんだと思いました。
電話が繋がらない…。嫌な予感(30代男性)
私は現在34歳です。当時20歳の時の話になります。
ある年に母の日だからと母に携帯電話をプレゼントしたことがあります。
とても喜んでくれたことを覚えてます。
その日から母とちょくちょく電話をして話していました。
それから10日ほど経ったある日、いつものように電話をかけたのですが、繋がらない…。
嫌な予感がして、実家に急いで行きました。
そうすると、母が悪そうに、「ごめんね携帯電話を電子レンジにかけちゃった」と。
その時は意味がわからなかったです。
詳細を聞くと、コンビニで買い物した時にそのまま携帯電話を袋に一緒に入れたらしく、帰ってきて、そのままチンってしたらしいのです。
チンされた携帯は当然使えなくなりましたが、今でも印象に残る母の日の思い出です。
サプライズイベント(40代男性)
今から五年位前の母の日の話です。
誕生日も近かったことから、当時行きつけだったカフェでお店の方に無理を言って、サプライズイベントでケーキを用意してもらって準備しました。
自分と今の妻、妻のご両親と、店員さんもみんなで参加してもらって母の日をお祝いしました。
本当にそれだけだったのですが、そこにいた全員がとてもうれしそうな顔で、いまだにそのみんなの顔が忘れられません。
当時のことをいまでも嬉しそうに話す母を見ると、やってよかったなと、毎回思います。
女性からのエピソードも少し
母の日に男性だけの話ではあれなんで、女性らしい母の日のエピソードもちょこっと紹介します。
あからさまに嫌な顔(30代女性)
私の母は一人っ子で育ったワガママなというか正直者すぎる天然な母です。
なので欲しいプレゼントじゃなければあからさまに嫌な顔をします。
まだ私が小学生のころ、母が喜ぶと思って買ったネックレスとカーネンションをプレゼントしたら「これオモチャでしょ」と言われ悲しくて泣いた事があります。
それを見ていた父が母にかなり怒り出し、その日は夫婦で大げんか!
その日母は車で朝まで寝てました。
母の日感動作戦(30代女性)
母の日に、サプライズを用意していた年がありました。
どんなサプライズかというと…
1、まず母を私の家に呼び出す 2、母が入ってきた瞬間に家族みんなでわぁーと飛び出す 3、みんなで作った料理を出してみんなで食べる 4、最後に花束と私の手紙を私が読み上げる。
最後の手紙で母感動で涙!という流れの予定でした。
当時、1から3まではうまくいってあとは4だけだなって思って、さて手紙を読もうかなって思ったとき、母がすでに号泣!
手紙を読むどころではありませんでした。
サプライズは最後まで計画通りにはいきませんでしたが、今でも母の日のよい思い出です。
プラ◯ーンが届いた(30代女性)
ある年の母の日のこと、私はうっかり間違えて母の日に母に送るものと友人宅へ送るものを取り違えてしまったことがある。
友人宅へは食器セットが届くこととなり、母の自宅には洋画(プラトーンと、ザ・ダイバー)が届いてしまった。
友人には母の、母には友人の住所を伝え、上手いことプレゼントを交換してもらう事ができた。
それ以降それをキッカケに、友人は私の母にプレゼントを贈ってくれているそうだ。
母のユニフォーム(30代女性)
私の母のユニフォームはエプロンで私たちが幼いときから母は必ずエプロンを着けていました。
小学生2年生の時に初めてお小遣いを貯めて母にチェックのエプロンをプレゼントました。
こんな笑顔見たことないというくらい喜んでくれたことを今でも覚えています。
それから毎年母の日のプレゼントはエプロンです。
花柄、刺繍、チェック、ボーダー、ドット毎年母のイメージでたくさんのエプロンを送ってきました。
美味しいご飯を作って家族を見守ってくれている母に、いつまでも元気で居てほしいので今年もエプロンを送ります。
今年、わたしもお母さんになります。
わたしも母のような明るい太陽のようなお母さんになりたいです。
母親の天然ボケエピソード集
お母さんって面白いネタが豊富ですよね。
天然おかんのオモシロエピソードをどうぞ!
まぐろ(30代男性)
私が小学4年生の頃、母の日に持っていたお小遣いでお花屋さんにカーネーションを買いに行きました。
喜んでもらえるかなとドキドキワクワクしながら、家に帰りました。
帰宅後、母にカーネーションを渡したら、まさかの『私、お花も嬉しいんやけど、やっぱりマグロの刺身がいいな。来年はマグロの刺身にしてね』と言われました。
母はカーネーションより食べ物優先でした。
それからは、毎年のようにマグロを買っています。
一度くらい感謝の気持ちを(40代男性)
私は41歳ですが、過去に一度も母の日を祝ったり、プレゼントを渡したことはありません。
そんな私が昨年、初めて母の日にプレゼントとして薔薇の花を贈りました。
理由は昨年結婚したばかりの嫁に「一度くらい母の日に感謝の気持ちを表したら?」と助言されたことからです。
花屋で本物の薔薇を買い、直接実家にいき母に渡しました。
母は照れていたのか「珍しいこともあるね、大雨でも降るんじゃないの?」と少しトボけた発言をしていましたが明らかに喜んでいたはずです。
数日後、嫁が私の母とランチをする機会があり対面したのですが、母の顔には切り傷があったそうです。
理由はあまりに嬉しく、薔薇を抱いて寝たそうなのです。
いくら嬉しくても薔薇を抱いて寝るなんて。
逆サプライズ(40代男性)
母の日には毎年何かの贈り物をしていました。
定番のカーネーションや、お菓子だったり母の好きなクロスワードパズルの本だったり。
ある時、母が「もらってばかりで悪いから欲しいものは?」と電話で聞いてきたので、アーティストの「ゆず」が好きなので「ゆずのアルバム」といったら数日後ダンボールが一人暮らしのアパートに届きました。
開けてみると中には果物のゆずが……
電話でアルバムを聞き逃したらしいのです。
アパートはゆずの香りでいっぱいになりました。
母に内緒で帰省した結果(30代男性)
就職して自宅を出て寮生活をしていた頃、丁度母の日がお休みだったので帰省しました。
勤めに出ている母を驚かそうと、こっそり内緒で昼間帰宅して待っていました。
母が帰って来た所に、ケーキとカーネーションをサプライズで渡そうと考えたのです。
夕方、勤務を終えた母が帰宅したのですが、なかなか家に入る様子がありません。
どうしたことかと思いながら待っていると、母がソオーッと入ってきました。
なんと手には箒が握られているではありませんか。
何か家の様子が違うような気がしたので、一応用心の為にと聞いて、大笑いです。
箒なんかでいざという時、相手をやっつけられるはずも無いのに。
2人で散々笑った後、ケーキを食べ、久しぶりに母とゆっくり過ごすことができました。
懐かしい母の日の思い出です。
プレゼントを買う際には気を付けましょう
母の日のプレゼントに何を買うかみんな迷います。
「迷った結果こうなった」母の日のプレゼントに関するエピソードを集めました。
意外に「やってもーた!」ってエピソードが多いんです。
今後の参考になりますよ。
母の日はやっぱりケーキ(30代男性)
私は毎年母の日になると、ケーキを買って帰るか食事に連れて行くかのどちらかをその年のその時の気分で決めてプレゼントしています。
ある年の母の日にケーキを買って帰りました。
すると、私には姉が2人いるのですが、姉2人もそれぞれがケーキを買って来ていました。
私も姉達も気を利かせて多めにケーキを買っていましたのでケーキだらけになってしまいました。
みんなでお腹いっぱい嫌というほどケーキを食べたのが我が家の母の日の思い出です。
毎回洗わなくて良くなるね(30代男性)
20代の頃は、1回も母の日にプレゼントや感謝のメッセージを伝えるようなことをしたことがなかった。
去年30歳になって、やはりなにかしらプレゼントしようと思い立って、カーネーションの花のドライフラワーと、母が好きなコーヒーと、スヌーピーが好きだったからスヌーピーのマグカップを購入して母の日にプレゼントした。
しかし、なんと兄弟とプレゼントがもろ被りしてしまって、その年の母の日ギフトがマグカップが3つになってしまった。
その時は皆ショックだったが、母は「まぁ、これでいちいち飲むたびに毎回洗わなくても良くなるからいいや。」と笑っていたのを覚えている。
3人兄弟(30代男性)
7年ぐらい前の母の日に初めてプレゼントをあげたときの出来事です。
何をあげようか迷っていたのですが、母が仕事用に使っているバックがボロくなっていたのを思い出し、プレゼントにバックをあげようと考えました。
その年の母の日は3人兄弟みんなが集まる予定になっていました。
それぞれ結婚しており会うのも久しぶりだったので、母の日ではあるが兄弟と会うのも楽しみにしていました。
そして各々相談することもなくプレゼントを用意していたのですが、なんと皆がそろってバックを購入していたのです。
こんなことあるのかと、そこにいた全員、驚きと笑いでその日は楽しい母の日になりました。
3人兄妹(50代男性)
60歳になったのを機にゴルフを始めたうちの母親に対して、母の日にゴルフウェアをプレゼントすることにしました。
私は3人兄妹で、現在はバラバラに住んでいますが、その年の母の日はたまたま全員が実家に集合しました。
その時、私の妹が持ってきたプレゼントが、なんと私のプレゼントと全く同じゴルフウェアでした。これには皆びっくり。
でも母の好きな赤のウェアで「何枚あってもいから」と喜んでくれました。
熱狂的な日ハムファンなので(40代男性)
母親は、北海道日本ハムファイターズの大ファンで、いつもテレビで熱烈応援していました。
そこで私は、母の日のプレゼントとして、日ハムの「限定ユニフォーム」を贈ることにしました。
その限定ユニフォームとは、指定試合の当日観戦(札幌ドーム)に行った人にしか配布されないプレミア品でした。
私は、無事に限定ユニフォームを手に入れ、後日、意気揚々と母の日に渡しに行きました。
すると、そこには私の持っている「限定ユニフォーム」と同じユニフォームを?私服代わりに?着ている母親が!・・・
どうやら、母親はその指定試合に札幌ドームまで観戦しに行っていたようでした。
母親は「べつに2着あってもいいべさぁ」と笑顔で受け取ってくれました。
飼い猫と相談しよう(30代男性)
母の暮らす実家には兄と私の3人で生活をしている。
昨年の母の日、久しく母の日らしいことをしていないなぁと考えた私は、恩返しの意も込めてプレゼントを送ることにした。
70近い身体には実家で使用している掃除機は重く、また音もうるさいことで、使用する毎に飼い猫にいつも威嚇されていた。
最新の軽く静かな掃除機を購入し、実家に向かい家の前に着いたところ、何やら目の前から見覚えのある人物が歩いてきた。
兄だ。
買い物帰りか手には大荷物を持っている。
どうした急に。
など兄と話しながら実家に上がり、いざ自分が用意したプレゼントを開けてみると、喜ぶ母とは対照的ななんとも言えない表情をする兄。
兄が抱えていた大荷物も母の日に用意したプレゼントで、開けてみると… 私が用意したものと全く同じ掃除機だった。
同じタイミングで同じものを送ってしまった。
実家には同じ掃除機が2台あり、母は今日はどっちで掃除をしようかしらと飼い猫に毎日嬉しそうに相談をしているようだ。
ダイ◯ン(40代男性)
私の母はちょっとぼんやりしている所があります。
私が結婚して初めて帰省したゴールデウィークに「今必要なものない?」と聞いたところ、掃除好きの母から「ダイソンの掃除機」という答えが返ってきました。
結婚して初めての母の日だったので、当時はまだかなり高価だったダイソンの掃除機を奮発して購入しました。
母の喜ぶ顏をみたくて実家まで直接もって行ったのですが、玄関を開けた瞬間に目がテンになりました。
そこには、既にダイソンの掃除機がありました。
実は、姉夫婦にも同じことを言っていて、姉夫婦もダイソンの掃除機をプレゼントしたようです。
掃除機は一階用と二階用になりました。
それ以降、母から欲しいものを聞いても、必ず姉夫婦に確認するようになりました。
大型の◯◯をプレゼント(40代男性)
母親に母の日に何かを贈ろうと思って考えていた時に、前から欲しいと言っていた大型のマッサージチェアをプレゼントとしようと思ってお金をためて購入をしました。
しかし何と母親も同じマッサージチェアを自分の母親(私の祖母)に買っていました。
そのため、同じマッサージチェアが居間に2台並ぶことになり、なにかマッサージ屋さんになった感じになりました。
懐かしい子供の頃の思い出(一部トラウマも)
お母さんのエピソードには、感動するものの他にもちょっと苦い思い出になることも。
子供のころの懐かしい母の思い出を集めました。
小学校低学年の料理(30代男性)
私は幼稚園頃から母に教えてもらい、料理を作ることが大好きになった。
小学校低学年になり、母の日に何かしてあげたいと思って、今まで教えてもらった中で私が一番大好きだった母の手料理であるハンバーグを自分1人だけで作ってあげようと思った。
お小遣いで材料を買いにスーパーまで行き、家族全員分を作った。
母に「いつもありがとう!母の日だから1人で作ったよ。」と言ったところ、泣きながら「こちらこそいつもありがとう!」と言ってくれ、家族みんなでワイワイおいしく晩御飯を食べました。
酔っぱらった父の一言(50代男性)
小学生の頃初めて母の日にカーネーションを送ったのですが、当日はとても喜んでくれました。
母は、私から母の日に初めてプレゼントをもらってうれしかったみたいです。
しかし、翌日寝る前に父親と母親が話をしているのを聞いてしまったのですが、父親は酔っぱらっていたのか、それを買ったのは自分で自分が渡すように依頼したと話してしまって、とてもがっかりしていました。
母の思い出(50代男性)
自分が小学校6年の一学期のことです。
すでに夏休み前に転校することが決まっていました。
何の授業なのか忘れましたが、授業の最中に教室の後ろ扉を開けて入ってくる人がいました。
母が自分の弟を背中にしょって入ってきたのです。
先生は事前に知っていたのか、授業を続けていましたし、他の生徒も特に驚いた様子もなく授業を受けていました。
授業の終わりのころ先生が、自分の母が息子が転校する前に授業参観したいということで来てもらった旨の話をしていました。
その先生の説明の後、母は自分で買ってきた鉛筆と消しゴムをクラスの全員に配っていたと記憶しています。
今はこんなことできないですよね。
その母の顔を今でも忘れはしない(30代男性)
当時、小学生5年生だった私はそれまで一度も母の日は何もしていなかったが、ふと何かしなくてはいけないという気持ちになった。
母と2人でデパートで買い物の最中、貯めていたお小遣いで母に内緒でカーネーションを買おうとしたが、母に見つかってしまった。
理由を母に話したところ、人目を気にせず母は涙を流しながら私の事を抱きしめてくれた。
その母の顔を今でも私は忘れはしない。
母の一言にショック「どこで◯◯◯きた」(50代男性)
私が高校生の頃の話です、母の日のプレゼントにと思いカーネーションを一輪買って渡したところ、母親はなんと「どこで盗ってきた」と驚きの一言。
当時、小遣いももらっていなかった為、万引きでもしたのだと思ったのでしょう。
当然、万引きなどしておらず、その母親の一言にショック。
多少の悪さをしていた私にも若干の比があるとは言え・・・。
それから暫くは母の日のプレゼントはした覚えがない。
親孝行したいときには親はなし
お母さんには感謝しているけれど、口にださない、態度にださない男性は多いようです。
「お母さんが元気なうちに親孝行してあげなきゃ」って気持ちになるエピソードをどうぞ。
今まで口に出さなかった本心(40代男性)
今から10年前、結婚したばかりの私は妻と二人で私の母に何をプレゼントしていいか悩んでしました。
あまり趣味の無い母でしたが、仕事だけは一生懸命で毎日電車に乗る事もあり、オーダーメイドの皮の定期入れをプレゼントしました。
いつもリアクションの薄い母が何故か大号泣。
何故そんなに泣くのか聞いたところ、今まで口には出さなかったが結婚して以来、自分はずっと嫁から嫌われていると思っていたようで今回のプレゼントで誤解が解け、安堵の気持ちから涙がこみ上げてしまったようです。
今まで母の日なんてあまり気にも止めていませんでしたが、私たち家族にとっては親子も嫁姑も仲を深めるいい機会になりました。
「大学までは行きなさい」(30代男性)
私が高校1年生の頃、パチンコで借金ぐせのあった父に見切りをつけた母は離婚した。
それから母はパートを掛け持ちして、一生懸命働いた。
大学に進学するのを諦めた私に「大学までは行きなさい」と言ってくれた。
高校3年生の春、私は他県の大学に合格し、安いアパートを見つけ、引っ越しをした。
母と別れる際、母は「安い家具しか揃えて、あげられなくてごめん。」と泣いた。
母の涙を初めての見た私は「うん、うん」としか言えず、二人で泣いた。
初めての 心の底から人に感謝した日だった。
退院したら、元気に散歩したい(40代男性)
近年、母親がひざを痛めて病院に行きました。
歩けるようになるためには手術が必要で、1ヵ月と少し入院することになりました。
ちょうど母の日が入院期間に重なったので、兄弟で話をして、新しい靴を送ることにしました。
私が代表して入院している母の部屋に行き、スマートフォンの画面を見せながら母の気に入るものを探しました。
母が選んだのはアシックスのピンク色をしたシューズ。
退院したら、元気に散歩したいと言っていました。
その場でAmazonで注文し、2日後に届きました。
母のもとに持って行ったところ、嬉しそうに手に取りました。
その場で写真を撮り、兄弟みなで共有しました。
母を、妻や妻の両親に恥ずかしく思っていた(30代男性)
結婚し、娘ができたころのこと。
私の妻は比較的裕福な実家の出で、妻の両親は娘の初節句に10万円はするだろう立派な雛人形を買ってくれた。
私の母は私が高校生の頃に父と別れ、パートを掛け持ちするなど、決して裕福ではなかった。
そのために初節句のお祝いなんて1万円が良いところだろうと、妻や妻の両親に恥ずかしく思っていた。
だが初節句の席で母がくれたお祝いは何と10万円。
それを見た私は金額でお祝いのランク付けをしていたことを心底恥じ、
また、母が10万円準備するまでの苦労を想像して、隠れて泣いた。
「好きな物を買ってもらえたらと思って」(40代男性)
20代から実家を出て大阪で仕事をしていた私は、母の日に毎年何かしらの贈り物をしていました。
そんなに高価な物は送っていませんでしたが、離れ離れで暮らしていることもあり、毎年自分なりに考えて贈り物をして後日電話の連絡を入れるのが恒例でした。
私が30代前半の頃、忙しさもあり少し横着をして商品券を贈りました。
毎年のように後日連絡を入れた際、忙しいという理由は言わず、
「好きな物を買ってもらえたらと思って」
と、ちょっと嘘をついてしまったのです。
それでも電話の向こうで母はとても感謝していました。
その母は他界しましたが、亡くなった際に遺物のバックの中を確認すると、その商品券が贈ったままの状態でしまってありました。
贈ってから10年近くたっても尚、そのまま大切にしてくれた事への感謝と同時に、贈った時の嘘へのものすごい後悔に、今思い出して胸が締め付けられます。
知らせを受けたのは丁度母の日(30代男性)
いつも喧嘩ばかりの母で結婚してから疎遠になっていました。
連絡すれば妻の悪口ばかりでもう帰省しないと決めていましたが、兄からの連絡で「もう長くはない・・・」と伝えられていました。
本当は会いたくて仕方なかったのに、病室ではいつも私の小さな時のアルバムや結婚式の写真を見ては泣いていたそうです。
知らせを受けたのは丁度母の日でした。
意識がほぼない状態で呟いていたのは「チャーハンが食べたい」。
私の作ったチャーハンがお気に入りでした。
電話を切ってすぐに私はチャーハンを作りかけつけました。
私が来るのを察していたように母は奇跡的に意識が戻っており、到着した瞬間から涙が止まりません。
たった一口でしたが食べてもらえて良かった。初めて作って食べてもらった時のおいしそうな顔と同じでした。
最後に「今まで本当にごめん」その言葉が言えて良かった。
今では毎年母の日にチャーハンを作り仏壇にお供えしています。
今年の味はどうだい?うまくできているかな?
まとめ
お母さんにまつわる、おっさんの面白い&感動エピソードいかがでしたか?
色々なお母さんがいますが、自分のおかんはやっぱり特別。
母の日にはお母さんにちょっとした贈り物をしましょう♪
また、プレゼントとともに「ありがとう」の一言も忘れずに!